渋沢栄一コースのご案内

新一万円札の顔として注目を集めている渋沢栄一、明治・大正・昭和と日本の資本主義をけん引しまた。
王子製紙や清水建設・東洋紡など栄一の関連した企業は500にのぼります。 こうした栄一の足跡を台東区内にたどります。
上野駅公園口➡上野公園➡東博表慶館➡護国院➡寛永寺➡徳川慶喜墓・渋沢栄一墓(谷中霊園)

上野駅
近代国家を支える、物の流通に取り組み、海上交通の日本郵船と共に陸上交通のJRの基礎を築く事業を興した。上野駅はJRの前身である日本鉄道会社 の顔ともいうべき存在であった。
上野公園
明治時代の初めに、日本では内国勧業博覧会が5回開催させており、3回までは上野公園で、その後京都と大阪で開催されました。渋沢栄一はいずれも委員会のメンバーとして活躍しました。
東博表慶館
大正天皇の皇太子時代にご成婚を祝うもので、明治42年に表慶館は開場します。この東宮御慶事奉祝会の副会長に就任し尽力した
護国院
千代夫人の葬儀を執り行った。(墓は栄一の隣にあります)
寛永寺
澁澤栄一が仕官した一橋家の当主で、後に十五代将軍となる徳川慶喜が、鳥羽伏見の戦いで敗れ、江戸に敗走した後、 寛永寺大慈院に蟄居しました。この大慈院が現在の寛永寺です
谷中霊園
徳川慶喜の墓地もすぐ近くにあり、栄一の慶喜に対する思いを感じ取れるでしょう。
谷中霊園
都内有数の大霊園に、渋沢一族の墓があります。栄一自身と、前妻千代、後妻兼子の墓は立派な物です。

谷中の地図